
「ムットーニ氏、からくり書物を語る 第1回目 」@世田谷文学館 講義室
2月17日から4月8日まで、世田谷文学館で「ムットーニのからくり書物」展が開か
れています。
ムットーニ(武藤政彦)さんの作り出す自動からくり人形を見ていると、とても豊かな気
持になれます。
展覧会に合わせて開かれる今回の講座は、作者ご自身からのお話がうかがえると
言うことでしたので全回申し込みをしました。
第1回目、3月3日(土)のことをご紹介ついでに書き留めておきます。
この日は、ムットーニさんの絵画学校時代、油絵を描いていた頃のことや、平面作品
から立体作品を作り出すようになるまでのお話を伺いました。
創形美術学校に親の反対を押し切って入学したので、認めてもらうためとお金の
ために賞金の取れそうな公募には片っ端から出していたそうです。
しかも、落選したことがなく仲間からは「賞金稼ぎの武藤」と呼ばれていたとか。
でもお金がないから新しいキャンバスを買うお金がもったいないので、展覧会に
出した絵の上に、また絵を重ねて描いていたので当時の絵はほとんど残っていない
そうです。
時間をかけて描いた作品をつぶしてしまうとは、なんてもったいない!と、思いますが
賞金を稼ぐのが一番の目的だったので、描いた作品そのものには愛着が無かったの
でしょうね。
それぞれの公募に入選しやすい傾向で絵を描いては出していたので、当時描いた絵
を並べてみたとき、自分の絵では無くなってしまうようでイヤになったとか。
夜中に絵を描いていて、空腹になったときコンビニもなかった当時よく行ったのが
近所の「あじさいラーメン」という小汚いお店だったそうで、料理の中によくゴキブリが
入っていたとか!(+。+)
この後、いったん講義室を出てムットーニさんの油絵作品を展示している方へ移動し
ました。
ここに展示されている、小さなポートレートは当時作品を出していた青木画廊から
小さい作品を描きなさいと言われて描いて、結局売れ残った子達なんだそうです(^_^;)
これを描いたのが31才くらいの頃とか。
ボッシュの「悦楽の園」に似た作品がありますが、確かに意識して描いたそうです。
この頃は、絵を描いているのが苦しくてしょうがなくて、絵の中の人物を立体に起こし
出したそうです。
この後、講義室に戻ってからムットーニさん自身も約20年ぶりに見たというビデオ
作品を見せていただきました。
家庭用ビデオが普及し始めたときに、映像作品作りが仲間内でもはやりだしてムット
ーニさんもつくったのだそうです。
「トランクマジック」
トランクが開くと、そこにはムットーニさん手作りの少々グロな人形が現れては消えて
行きます。
やがてトランクは閉じられ、後ろ姿の男性がそのトランクをどこかへ持って行きエンド。
「ムットーニの逃亡者」
満月に追いかけられて、えんえん山道を走っている一人の男(人形)の話。
当時日本で、ブラザース・クエイ(Quay)という双子のアニメーション作家の作品が評
判になってムットーニさんもやはり影響されたのだそうです。
彼らの作品は、物体を少しずつ動かしては、撮影してつくるいわゆるこまどりアニメ。
ポーランドのユダヤ系の作家ブルーノ・シュルツの作品を映像化した「ストリート・
オブ・クロコダイル」は話題になり、私もこの作品が大好きでした。
下の画像は、手持ちの公開当時(1989年)のパンフレットです。

独特の造形は、グロテスク。まち針達が集団でちくちく移動していく様子は奇妙だけど
おもしろくて眼が惹き付けられます。
NHKで放送されている「ピタゴラ・スイッチ」は明らかにクエイ作品の影響をもろに受けてるが
よく分かります。
彼らの作品に影響された人達は、かなりいるはずですが私はムットーニさんの作品と
クエイ作品を結びつけて考えたことはありませんでした。
クエイ作品はダークでシュール、ムットーニ作品は明るく夢があるのでだいぶ違った
感じがするからだと思います。
ムットーニさんが絵の勉強をした創形美術学校は教職課程が無い学校。
もしもあったら、今の自動からくり人形師のムットーニさんではなく、中学か高校の
美術の武藤先生になっていて自動からくり人形は作ってなかったも知れないですね。
この日はせっかくですので、購入した本「ムットーニのからくり書物」に記念のサインを
いただきました。(冒頭の画像がその本と、受講証です)


