2008年10月06日

近代能楽集「綾の鼓」「弱法師」

近代能楽集「綾の鼓」「弱法師」 2008年新国立劇場


近代能楽集「綾の鼓」「弱法師」@新国立劇場 小劇場
作:三島由紀夫
出演:十朱幸代、国広富之、他

9月25日(木)にB席(バルコニー席)で観ています。
故三島由紀夫が、古典の能を現代に翻案した「近代能楽集」のうち2作品を
十朱幸代、国広富之は両方に出演、そして別々の演出家で手がける公演です。

2作品とも以前、観たことがあります。
「弱法師」は2000年に蜷川演出、藤原竜也さん主演で観ています。
「綾の鼓」はどこで観たのか思い出せませんが、これも蜷川さんの演出だったかもしれません。


「綾の鼓(あやのつづみ)」
演出:前田司郎
小さな法律事務所で働く老人の岩吉(綿引勝彦)は、窓の向こう見える洋品店に
やってくる華子(十朱幸代)に思いを寄せている。
毎日恋文を書いて使いの者に頼んで渡してもらっているつもりだが、それは華子には届いていない。
華子の取り巻きはいたずらを思いつき、岩吉の元に綾を張った鼓を送り、これを打って華子に音が
届けば華子が彼の願いを叶える、という手紙までつける。
鼓をならそうとする老人ですが、綾は織物だからそんなものを張った鼓は鳴る
はずがありません。(本来は皮をはります)
辱めを受けたと思った老人は自殺。さらに怨霊となって華子の前に現れますが・・・。


恋する老人の一途な思い。
資産家の婦人らしい華子の取り巻きは華子に何の相談もせず勝手にいたずらを相談し合って実行します。
華子はそんな取り巻きを目の前で観ているのに何も言わない。
彼女はなぜ一言もいわないのだろう?
そんな会話に入るのもくだらないと思っているのでしょうか。
鳴らないはずの綾の鼓は怨霊となった老人が打つと、鳴るけれど華子は聞こえない
と言い張る。
ところで後半になってやっと華子がしゃべり出しますが、その声がまるで老婆の
ようなのにはびっくりしました。
第2部での十朱さんの声はかわいらしいくらいだから、それはわざとなんだと思い
ますが・・。
遠くから華子を見てるだけの岩吉はひとり勝手に想像を巡らせて、華子を美化
してるわけで、華子にしたらそんなかってな思いを押しつけられるのはゴメンだ、
ということなのでしょうか。
しかもあんたはただの卑しい小使いじゃないの・・・ということなのか。
綿引さん演じる岩吉は高貴な感じこそしないけれど、華子より品のない人物にも
見えません。
結局、私にはこの物語の意図するところはよく分からないのでしたf(^―^;


「弱法師(よろぼし)」
演出:深津篤史
家庭裁判所にて。
二十歳になった俊徳(木村了)の親権を廻り、生みの親の高安夫妻と育ての親の
川島夫妻が争います。
俊徳は5歳の時空襲で親とはぐれ失明し、その後川島夫妻に拾われ育てられたのですが、とても反抗的な
青年になって争う両夫妻のことを嘲るしまつ。
なんとか場を収めようとする調停委員の級子(十朱幸代)ですが・・・。



木村了さん演じる俊徳は、しゃべり出すまではとても見目麗しい好青年に見えます。
真っ白なスーツに身を包んでそれはそれはハンサム。
それにしても二組の夫婦のカッコ、これはいったい・・・。
顔はまだらに白塗りだし、男性のスーツも女性の着物もまるでモンドリアンの
抽象絵画でも摸写して描いたみたいな感じになっています。
まるで外国人が何かの写真で見ただけの
歌舞伎をまねて、化粧や衣装のデザイン
なんとなく取り入れてみました!みたいな、なんだか安っぽい感じ。
斬新な演出・・・・何だろうけれど、これでは三島由紀夫が推敲したせっかくの文章が
かわいそう・・・などと言ってはいけないんだろうな。
とにかくこの視覚的に奇をてらった演出、私は好きになれませんでした。

俊徳は育ての親と生みの親に向かって、それまでの恩を仇で返すような言動をします。
たぶんこれはきっと、彼が本当の思いを上手く伝えられない裏返しの気持からだと思います。
上手く言えないもどかしさと苛立ちが、周囲への反発になっているのだろうと感じます。
美しい夕焼けの事を話す級子、それを聞いて自分の目を焼いた空襲の炎のことを思い出しこの世の終わりの幻覚を見る俊徳。
級子と我を忘れて小さな子どものようになった俊徳、二人が寄り添うラストシーンがなんだかとてもきれいでした。


posted by みどり at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・ダンス・芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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